2020年12月10日 12:07 pm

こんにちは。牧会計のお局事務員です☆

12月も半ばになってきましたが、今年はまだ暖かい日が多い気がします。

お局の住んでいる田舎では、今朝初めて田んぼに「霜」が降りているのを見ましたが。。。例年よりは遅い感じです。

さて、タイトルにもあるように先日GOTOトラベルを利用して行った広島で、お局は5●歳にして、人生初となる御朱印を頂いて来ました☆彡

広島旅行、良かったですよぉ!残念ながら厳島神社の海の中に立つ大鳥居は修繕工事中で、干潮時であっても近くまでしか行くことが出来なくて、鳥居には触れることが出来ませんでしたが・・・

でも、収穫が始まったばかりの「広島牡蠣」の炭火焼!プリップリの大きくて濃厚な牡蠣を堪能して来ました💛

流石に本場!メッチャ満足の味でした💛💛

あぁ・・思い出すだけでヨダレがジュルリと。。。!

 

いやいや、本題から逸れてしまいました。御朱印ですよね。。失礼しました。。

 

人生初の御朱印を頂いた(OLD)御朱印ガールのお局は、少しは御朱印に対する知識を持とうと、google先生にお聞きする事にしました。

(日本の神社仏閣の歴史の一部をアメリカのサイトを使って調べるんかい!と軽いツッコミが入りそうですが、まぁそこは置いておいてと)

御朱印とは、一言で言えば「神社やお寺の参拝証明」との事です。「あなたは確かにこの日にこの神社(お寺)に参拝しましたよ」と言う証拠の御印ですね☆

確かに参拝した日付とその神社仏閣のお名前が入っていますよね。

起源には諸説あるようで、「元々は寺院に写経を納めた際の受付印であったとする説が有力である。 朱印の右上に現在は「奉拝」と書くことが多いが、昔は「奉納大乗経典」となどと書かれていた」と書かれていたり、平安時代に再興された日本で一番古い巡札「西国三十三所巡り」が御朱印巡りの原点とも言われているようです。

御朱印はもともとはお経を書き写す修行である「写経」を行い、それをお寺に収めた証明として「朱印(ご宝印)」を頂くものだったようです。当時はいまのような墨書きの文字ではなく、朱印(ご宝印)自体が「神さま 仏さまの分身」とされていた。とも書かれていました。

仏様の分身の上に文字を書くなんて・・・抵抗を感じたお寺のご住職もおられたようです。

 

お経を収めると言う事で「納経」である事から、御朱印を「納経印」、御朱印帳を「納経帳」と呼んで、今でも納経しないと御朱印をいただけない場所もあると記載されています。

 

う~ん!勉強になります☆彡

 

今は御朱印ブームもあって、神社仏閣では多くの観光客の方が御朱印を頂こうと列を作っていますし、御朱印の収集の為だけにインターネットオークションで購入する人もいるようです。

修行した証しに頂けるはずの神さま仏さまの分身をオークションで買うのは流石に「罰当たり行為」だと思うのはお局だけでしょうか?

日本は諸外国に比べて宗教文化が根付きにくい場所だと言われています。過去の歴史の中でも政府によるキリスト教徒への弾圧はありましたが、日本国内での宗教戦争は無かったとお局は認識しています。

以前、海外旅行先で「大多数の日本人は生まれる時は神さまで、結婚する時はキリストさま、亡くなる時は仏さまなんだよね」とガイドさんに言ったらビックリされた記憶があります。

彼らにとっては自分の信じる神様はお一人なのが当然で、唯一無二の絶対的存在のようです。

そんな日本人の中でも「煩悩の塊」が服を着て歩いているようなお局ですが、せめて今後は御朱印を頂く時は「修行をしていないのに分身を頂いて申し訳ありません。有難く頂戴いたします」と心の中で御礼を言って頂こうと思います。

さてと、コロナが終息したら、次は何処の観光地で御朱印頂こうかな💛

 

 

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