2023年2月10日 5:19 pm

こんにちは。牧会計のお局事務員です。今年初のブログですが、今更「あけまして」も変な話なので失礼ながら省略と言う事で・・・

 

さてタイトルに書かせていただきましたが、今年 令和5年は東海地方の年ですよぉ~☆彡

来てます!!来てます!!

 

年明け早々「織田信長」の映画は公開されるし(映画の試写会ではサプライズで主演の木村拓也さんの舞台挨拶があったそうで。。。お局もその試写会には応募しましたがみごとに玉砕。。。自他ともに認めるミーハーとしては痛恨の極み!!悲しすぎる!!)それに今年の大河ドラマで「徳川家康」ですしね💛

 

お局も三英傑にあやかろうと、1月15日5●歳の誕生日に岐阜城そびえ立つ岐阜金華山に登って来ました。

昔からロープウェイもあるし、登山道によっては小学生でも登れる山だし、鼻高々で登った事を自慢できるほどの高山(なにせ金華山の高さは329m)でもないんですけどね。。。まぁ、厄落しのような感覚でね☆彡

岐阜城は言わずとしれた天下統一を目指した信長公の本拠点ですが、織田信長って「鳴かぬなら殺してしまえホトトギス」の言葉があるように、自分の意にそぐわない人は容赦なく切り捨てるイメージが強いですが、ポルトガルの宣教師が来城された時に信長公が自分でお膳を運んでふるまったそうです。

若き頃には「うつけ者」と悪名高く、自分の父親の葬儀の際には抹香をわしづかみにして、仏前に投げつけたうえで帰ってしまいまったというエピソードは有名ですが、本当に必要と感じた時には礼を尽くす事も出来る人だったようです。

(今回は三英傑の一人の豊臣秀吉は置いておいて・・・ごめんなさい秀吉さん)

そして「鳴かぬなら鳴くまで待とうホトトギス」と歌った徳川家康公

子供の頃から青年期にかけては人質として長い間不遇の時間を過ごした事でも有名です。

本来ならば親元で大名の子として優雅な生活を送れていたはずなのに、何かあれば命すら危ぶまれる可能性の中、じっと我慢の生活はかなりのストレスだったはずですが、それでも自分の時代が来るまではと耐えて待っていた。結局その後260年続く時代の礎を創っているのですから、短気なお局としては見習わなければならない事も多いなぁと感じてしまいます。ストレスが溜まって爆発しそうになった時には自分の爪を血が出るほど嚙んで耐えていた事は有名です。(それお局は無理です)

それと同時に家康公はかなり「健康オタク」だった事でも有名です。

三英傑が亡くなった年齢は、それぞれ 織田信長 49歳 豊臣秀吉 61歳 徳川家康 74歳となっていて、平均寿命が40歳代だった頃にその倍近くの年齢まで生きた家康公ってすごくないですか!?

真夏でも温かいうどんを食べて胃腸が冷える事を防ぎ、届いた当時貴重だった果物でも季節外れだと判断すると、自分は食べずに家臣に分け与えていたそうです。普段は粗食を心がけ麦めしばかりを好んで食べて、健康のため自ら薬の調合まで行っていたらしいです。

時が来るまで耐えて心を守り、そして身体を守る。。。

ひょっとしたら、今の日本人が少し無くしてっしまっていて、取り戻した方が良い事の暗示となっているのでは?と思うのはお局だけでしょうか。

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