牧会計事務所 所長の牧です。
大河ドラマの”どうする家康”の結末が近づいています。どうもあまり人気が無いようですね?俳優の技量がないと指摘されていますが、家康役は、最近大変上手くなっていませんか?私は一度も欠かさず楽しんで観て、今まで知らなかった家康の生きざまや功績がよく分かりました。戦国時代の3英雄のなかで家康は一番人気がないようです。それは、織田信長がはじめた天下統一という事業を、豊臣秀吉が引き継いで完成させたのに、何もしていない徳川家康が現われて天下人になってしまったように思われているようです。”鳴かぬなら鳴くまでまとうホトトギス”ですから。
しかし、徳川家康は決して楽な人生を歩んできたわけではありません。幼名、竹千代は岡崎城で弱小大名の嫡男として生まれ、6歳から2年間を織田家、その後19歳までは今川家の人質として過ごします。”このまま人質として人生を終えてしまう”という恐怖感との闘いだったのではないでしょうか。
織田信長が桶狭間で今川義元を討ち倒すと人質生活に別れを告げ、親交があった織田信長と同盟を結びますが、対等な同盟ではありませんでした。織田信長から危険な先方を務めさせられたり、妻と嫡男の徳川信康が織田信長から敵国と内通を疑われ、ふたりを死に追いやらなくてはならないなど、理不尽なことをたびたび強いられました。
織田信長が明智光秀に討たれた後は、豊臣秀吉が天下統一事業を引き継いで、瞬く間に勢力を広げ天下人になりました。徳川家康は豊臣秀吉と一度は戦い勝利しましたが、結局は豊臣の家臣として傘下に入りました。秀吉が小田原の北条氏を滅ぼして天下統一が成ると、徳川家は領地を三河から江戸に移されてしまうのです。ゆかりの深い領地を追われ、江戸の地で忍耐強く待つことになりました。
そして、豊臣秀吉が死に、その盟友である前田利家もこの世からいなくなると、徳川家康はついに行動を起こします。57歳の時に関ケ原で勝利を収め、大阪冬の陣・夏の陣で豊臣家を滅ぼすと、天下泰平の世をつくりだすという役目を終えて、その翌年74歳で永眠します。
苦労や不条理を強いられても、そのすべてを忍耐力で乗り越え、最終的に勝者となって250年以上という世界的に類を見ない長期安定政権を生み出したのです。もし、徳川家康がいなければ、日本の首都は東京ではなかったかもしれません。
徳川家康は大したもんです。強い者ではなく辛抱強く耐えきる者が最後は勝利するのですね。